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    【アート】すべて絵にするイメージを養い、肯定して、前進する・・・。プロジェクションマッピング「BOX」

    • 2015.03.10 Tuesday
    • 04:26

    【TOKYO STATION VISION 東京駅プロジェクションマッピング】

    プロジェクションマッピングと言う表現がある。
    プロジェクション(=投影)という単純映写ではなく、マッピングという言葉が加わった言葉で、ここには投影する対象に映像を張り合わせるという意味合いがあり、対象と映像がぴたりと重なり合うことで意味を持ってくる映写方法である。(Wikipwdiaより)

    日本でこの表現が定着したのは、東京駅のプロジェクションマッピングだろうか。
    歴史を感じて素晴らしい表現だった。



    最近、とってもプロジェクションマッピングがでてきているけども、動かないモノに対してするのではなく、 動くものに対して、より立体的にマッピングをするものがある。

    【Box】

    まだまだ表現の可能性を追求した作品が出てきている。
     

    立体的な表現をまず、絵にできる人がいる。
    そこから、計算しつくす。
    【Box by Bot & Dolly | Behind the Scenes】(メイキング)

    まず、イマジネーション。
    そして、技術にも明るいこと。
    どちらの頭も必要。

    【心の栄養、頭の資料】東京タワーと米軍戦車@「解体屋の戦後史〜繁栄は破壊の上にあり」生方幸夫

    • 2014.11.12 Wednesday
    • 19:49
    個人的に、ウィークデーには毎日のように見上げる東京タワー。

    夜景となると温かなイルミネーションで浮かびあがる。いろいろな光があるけど、オレンジ色が一番良いかな。
    先週の11月7日は満月で、イルミネーションも下半分のみ。

    ところで、この東京タワー、米軍の戦車が使われているそうだ。
    この内容が書かれているのが、この「解体屋の戦後史」。

    1953年に休戦協定が結ばれた朝鮮戦争で、払下げ物資として
    さまざまなものが日本にもたらせた。その中に米軍戦車があったようだ。

    当時の日本は、鉄くずといっても良質なものを探すのが骨折りで、
    質の良い米軍戦車が適当だったようだ。
    場所的には第一展望台の上部分。

    下請けの仕事だからか公式には出てこないし資料もないのだけど、
    こうした事実はネットにはザワザワと上がっている。
    (中古の鉄で作ったのを恥じたのか・・・?)

    曲がりなりにも戦車なので、まず解体が大変。
    壊れないものを壊す職人が一台に付き一人(何しろ狭いので)で解体に当たったらしい。

    作業中に職人の衣服は火傷をしないようにと、米軍からもらった生地の厚いジーンズを着たようだ。
    それまでは火花が散ると、木綿の生地だと焦げ付き、火傷だらけになっていたとか。
    日本で、ジーンズを作業着として初めて使った最初なんでは、とも記してある。

    あ、そうか東京タワーにはそんな職人さんたちの苦労が…。
    見上げるのにも少し見方が変わるってものだ。

     2014_1107a.jpg
    (2014年11月7日の東京タワーと黄色いバラと青い空)

    【心の栄養、頭の資料】人間はカやハエを作り出せるか? @『いちばん大事なこと 〜 養老教授の環境論』

    • 2014.10.28 Tuesday
    • 06:09
    環境問題を語るときには、それが何であるか、
    まず説明するのが難しい。

    「本業は虫取りです、と言いたい。」
    と、毎度著書には書いてあるような気がする、
    養老先生の語り口は、分かり易く、
    それでいて当たり前だけど
    解説が難しいことを、さくっと言及されているので嬉しい。

    そもそも、「環境問題」対「人間社会」という対立が間違い。
    人にカやハエは作りだせない。

    逆に人工とは、と最初に言っている。
    人工とは人の「意識」が作り出したもの。
    都市はその典型で、木すら意識して植える。
    多様性な地球のシステムの中に人も入っている。
    この多様性を生み出すことは人にはできない。

    絶滅危惧種が一つなくなると大騒ぎになるのか、
    人工の中で育った人間には分からない。(そしてその解説は「バカの壁」に帰る)
    貴重な多様性のシステムがなくなっていく
    ということだから。

    二足歩行のアシモは自立はできるが、
    故障すると自分で直せない。
    完全に直せる機械を人は作りだせるのだろうか?
    人が作りだしたものは、人を殺すもの。

    人間は自然に治っていくもの。

    なんて。

    子育ても、田んぼや畑を育てている人は
    きちんとできるんであるとも書いてあって
    なるほど、と。
    何しろ、子供たちは人の意識のない自然だから。

    眉間にしわが寄らせて語る環境問題が
    どんなに間抜けか、それで、机上とか教室とか会議場とかでは
    分からないのが何故か、まずよく分かる良書。

    今の日本は
    「ああすれば、こうなる」型の発想の子供ばかり。
    「人の意識で上手くいかない」自然と、人の社会と
    行ったり帰ってったりしながら、学ぶもんだなぁと。

    ねぇ。。。


    (いつかのネコのお店にて)

    【心の栄養、頭の資料】「必要とされる技術や能力はもっているか」が死活を分ける。最後の御算用者@「武士の家計簿」

    • 2014.10.11 Saturday
    • 07:06
    世の中で生き残るには人が嫌がるところに 活路を見出す。
    世の中の面倒くさいことを引き受ける仕事ができる人になる。
    と、いうのは、
    「食べるに困らない」点において、有効だ。

    現在は、「会計」と「外国語」。
    (諭吉先生は両方だなぁ・・・。すると、追加すると圧倒的な日本語力があれば鬼に金棒と)

    会計は税務会計でなく、 経営戦略も如実に数字に出す財務会計。
    バランスシートは経営者の履歴書。
    そこまで数字が読めて組み立てられること。

    数字に感情がないので、かっこよくない。けども正直だ。

    生活するということは、突き詰めれば、数字の出入りで、
    以外とごまかしも何もそこでわかってしまう、ということでもある。

    「金沢藩主猪山家文書」という武家文書に、精巧な「家計簿」が残っていた。
    明治維新とはその数字の元が、「米」経済から
    世界基準の市場経済に丸ごと切り替わったわけで、それでも、数字は数字なんである。

    米の時はでも「そろばん」、市場に移っても「そろばん」
    地味に「そろばん」の技術を買われ、藩から新政府付きに。 
    財務の数字から、最後の御算用者の生活が浮き出てくる。

    ところで、江戸時代の女性の地位は、子供を産んでおばば様になると
    だんだん上がってくるみたいで、数字の上でも現れる。

    おばば様のお小遣いが一番多い。
    そして、娘が嫁に行っても小遣いを渡している。

    こないだ、実は女性は強いんですよ。
    「男性に守られて幸せになるだなんて、西洋の意識の借り物です」なんて聞いて。
    男性は、機能的に出産の痛みに耐えらないのだから、女性が男性を守るのが正解。
    「女性よ、母たれ」と。
    ・・・たしかにそうだなと。
    社会生活が長いと、「おっちゃん、弱ッ」とか、思う事しばし。

    ここの数字に出てるなぁ、と地味に確認しました。

    【心の栄養、頭の資料】あの「壁」を壊すのはあなた@『超バカの壁』養老孟司

    • 2014.04.24 Thursday
    • 19:22
    ・・・「この「壁」を超えるのはあなた」帯コピーがナイスだった・・・。
    「バカの壁」「死の壁」の最終バージョン「超バカの壁」。

    柔らかい語り口でざくざくと切っていく。

    オンリーワンよりただの人だ、と若い人には言った方が良い。そう言わないと救われないだろう。
    社会の穴を埋めるのだと。それが幾ばくかたまってお金がもらえるのだと。 それが仕事。
    そのうち、本当に頑張っていくと、穴には入っていくのだよね、と。

    西洋の「自分」と日本の今の「私」を比較。

    興味深かったのは、震災と戦争のPTSDなど解釈について。
    震災で心のケアとはいうものの、戦争はもっとひどかったろう、と、大変違和感を持ったことが書いてある。
    そもそも、自然災害の多い国。
    そういうことには「水に流す」、また「忘れる」文化の根底になかったのかと・・・。

    文中、江戸末期に日本を訪れた、デンマーク人が
    横浜の大火事の後の日本人の行動を見て感嘆したことが紹介してある。

    日本人はいつも変わらぬ陽気さと、呑気さをたもっていた。
    持ち物もすべてなくなっても、不幸に襲われたりしないと。
    「彼らを宿命論者と呼んで良いだろう」

    実は、「超バカの壁」とは別の書籍で、
    明治時代にも西洋から来た技術者が あっけらかんとした日本人について
    (家族の時間を大事にして、働かないし・・・)「なんだ、この民族は?」と、
    不思議に書いていた。

    私たちの持つ、江戸時代の日本人像が本当は、
    もはや違うんであろうと、 私は思っている次第ですが・・・。

    人と人が違い、誤解があるのが当たり前。
    分をわきまえ、心を決めて手足を具体的に動かしなさいよ、なんて。
    個々は、別の役割のある「ただの人」で、
    自信のないオンリーワンなんて、ただの没個性。

    壁を超えるのは結局、腹の決まった
    自分の行動でしかないですよね。

    【心の栄養、頭の資料】人は100%の確率で死ぬ。それは当たり前のこと。@『死の壁』養老孟司

    • 2014.04.13 Sunday
    • 23:40
    昔、付き合いのあった、脳外科医の先生とこんな話をした。

    「魂が抜けて肉の塊になる瞬間って、不思議ですよね…」


    場所は、なぜだかモンゴル。現地の民族的な大きな丸いテント「ゲル」の中だった。

    …遅ればせながら「バカの壁」に続き「壁」シリーズ二冊目。
    読みながら、ふとそんなことを思い出した。
    このたびも養老先生は、温かみのある語り口でザクザク言ってくれる。

    人は100%の確率で死ぬのだ。
    ウイルスの致死率が60%とか70%とかのレベルではなくて、100%死んでいくものだ。
    それだけは避けられない事実だ。

    昔の土葬していた頃の人と、火葬の現代人の死の感覚を、真正面に分析する。
    近年は確実に「他人の死」というものが、遠ざかり、自分の死を忘れていると。

    若い人が入るマンションは、そもそも「人は死ぬ」ことを想定して
    設計していないため、エレベーターが狭く、棺桶を立てて運ばないといけなかった。
    ・・・そもそも、永久に生きると思っているのだろうか?

    また、「死」という概念が、脳死をいうのか、細胞の死をいうのか、
    どこを指すのかも、不明瞭だ。そもそも死の基準とは、を、正しく見る。

    人を殺すことがどうしていけないことなのか、生物学的観点が面白かった。
    進化の過程で人の過程で貴重にも、そう形作られているものを、無下にと、
    ・・・確かにもったいないし、
    私も、自分の体の細胞に、先々どう生きるのか問うた時期もあるので、納得いった。

    死と向き合うことで、生きることは、と考えさせられる。
    人は、まず確実に100%死ぬのである。

    私自身の「死」の体験とは、小さい頃にまず、母方のおばあちゃんが亡くなった事だ。
    交通事故だったが、ぶつかったというより、
    驚きすぎて、元々心臓が弱く負担がかかりすぎて、亡くなったのだった。
    だから、おばあちゃんの死に顔は綺麗で、生きているかのようだった。
    不思議だった。でも、もう話なんかできない。

    「魂が抜けると肉の塊になる」・・・中に魂がいるときとそうでないときと、何が一体違うというのだろう。
    それで、このときの率直な感想が、冒頭の脳外科医への言葉になる。

    こうした記憶がない小さな子は、死をどうして向かい合うんだろうか、と純粋に疑問に思う。
    親戚づきあいの希薄な、核家族というのは、人間的には大事なものを失っているのではないか、と。

    最近では、父が亡くなった事。
    父は癌で、幸運にも私は最期の一息まで看取ることができた。
    最期の一息は小さいけど長く見えた。すぐ、風が吹いたようだった。「帰って来ない」のが分かった。
    医者が臨終を確かめに来るまで、何も動かない静寂の時間だった。

    世の中というクラウドから端末が一つ消えた。単純に言うとそんな具合。
    今思うと、厳密には、その時にはまだ、細胞は電気信号をもって運動をしてたかもしれないのだけど。
    でも、帰ってこないのだけは、確かだった。

    人は生まれてくる。そして、100%の確率で死ぬ。
    分かると、実は、恐れがいらないのかもしれない。

    【心の栄養、頭の資料】そもそも、その一元論発想は、どうにかならないのか?@『バカの壁』養老孟司

    • 2014.04.01 Tuesday
    • 19:13
    今更ながら、壁シリーズを読む一冊目。
    「バカの壁」。

    人間は、そもそも頭と体とで神経が入れ替わってて、
    体を使うか使わないかで、「知っている」と「理解する」の差、
    知識と常識(雑学ではない)の差でになってくる。
    個人の別、意識の別を脳科学の視点から、個々の差を解説されている。

    人の頭蓋骨モデルを二つを使って、学生に感想を求めたエピソードが
    現代社会の問題そのものだ思った。

    見た学生いわく、
    「こちらの方が大きいです」

    …目が見えてない! というか、教えている生徒はそういう生徒だったのか?
    曲がりなりにも医学を目指しているなら、
    どっちが年代が古いとか、男女の差があるとか、そういうことだろう!
    教えるこっちが、やる気をなくす。

    ・・・というような、ぼやきも入っている。

    結局、体を動かして、バーチャル体験から離脱しなさい、と提案。
    だからすぐに一元論に落とそうとするから現物感がなく、
    話が通じなくなるんです。とのこと。

    もう、おっしゃる通りです。

    【心の栄養、頭の資料】我が家のルールは我が家のルール@「親の品格」坂東 眞理子

    • 2014.03.23 Sunday
    • 01:06
    「国家の品格」「女性の品格」「親の品格」と、品格シリーズを読み通す。

    まず、挨拶をちゃんとすることから。
    それから、日常生活、たとえば、清潔な服を着るとか、
    泣くに任せるでなく、どうにかしてこそ子育てだろうなど。

    年末、ファミレスで、若い親子を見かけたとき、ふと、この先どうなってしまうのだろうか? と
    純粋に思った男の子がいた。
    とにかく、その小さな子はよく喋るのだ。相手の話に相槌も打たずに。
    お父さんはそこ子にやらせたいようにやされていた。
    そして、食べ物と、遊ぶことと同時にせっかちにしているのが、少し気になった。

    しばらくすると、そのコが突然泣き始めた。
    私が気づいたときには、なぜか、そのコの父親が隣の老夫婦に逆上していた。
    口論になる要因は、こっちには聞こえなかったのだけど、
    恐らく、近くにいた老夫婦が、大丈夫か? と声をかけたのだろう。

    「いじめているわけじゃないんだ! こいつが勝手に舌をかんで泣いたんだ」
    と、父親は言い放った。

    近くでちょっと見ていた私は、
    そうか舌をかんだのか、そりゃあれだけ同時にやれば、食べる事に集中できなくなり、
    しゃべるのと食べるのと一緒になると、かむだろうな、と感じた。

    「この店もう来ない!」
    カッとなって出て行ったのは、その小さい子のお父さんだった。

    残されたそのコのお母さんは、申し訳なさそうに、ご夫婦に向けて頭を下げていた。

    「……子供は泣くものだから、良くわかるよ…」
    老夫婦の旦那さんの方は、困ったように言っていた。
    お母さんも、片付けるとお父さんを追いかけて出て行った。

    我慢は大事だし、努力も大事だと思う。
    躾と体罰もその境目は、親の人間的な器とバランス感覚だと思う。

    本書には、「うちのルールはこれです」「うちの経済状況ではこれでは無理です」と
    我慢をさせるのはある程度は、当たり前のルールも親の品格だと。

    そのほか、小さい頃から家事は習わせるとか
    小学校のPTAの役員を引き受け方、小学校中学校の受験は親の気合、
    思春期を越えて、お友達に悪いコがいた場合には、何かにまきこまれないよう祈るしかない
    など、・・・具体的なことが提案してある。

    ときどき、著者が「どうしてもっと日本の習い事をさせてくれなかったのか(行動が美しくなったのに)」というような
    ぼやきが入る。それは、もう流行らないもので古いからと、やらせてもらえなかったらしい。
    でも、形から入るそれらのものは、重要であるとかいてある。

    私もそう思う。私の母方の祖母は、和裁の達人でお茶の先生だった。
    私が小学生低学年の頃に亡くなったのだけど、遊びに行くたびに、
    シュッシュッと絹の音をさせて、縫い物をする祖母の佇まいが、頭に焼き付いている。

    余談だけど、かく言う私も、実は母の子育てについて、ぼやいていた時期があって、
    私がもともと病弱で、かつ思春期からは事故で痛みだらけなんてことで、母はとかく過保護であった。

    子供たちは最終的には「自立」をしなければならない、その点で、過保護は生きる力をなくす虐待だと感じる。

    結局、私は母から離れ許し、自分を自分で育てなおすことになる。
    工場の現場の人、障碍者のイベント、番組取材で出会ったさまざまな人や、芝居でお世話になった方々、
    音楽の繋がり、食を探求してたどり着いた先の食の専門家や、農家の人、夜の世界の海外の人、
    社内外、ビジネスの達人から政治の世界の方、治療家、早朝コンビニバイトをやっていた頃は
    毎日来るおじちゃんにもヒントがあり・・・・すべてをまず飲み込む。
    しかも、もう大人なので恐ろしく言い訳なく大量に「自分」はないくらいが丁度良い。
    体に合わないものは、吐き出される。身につくものが残る・・・。

    ・・・なんて、基礎的な無駄足を踏ませないのも、本来は親としての役割じゃないかしらと。
    ・・・人生で生きる時間は決まっているのだから・・・。
    自分の事例で他がわかるというのも何だけど、それはそれで良いのじゃないかしら、とも、思うわけなんだね。

    追記:
    2014_0324.jpg
    本を読みながら、自分が自分の親になったんだった、という事実を思い出しました…。

    【心の栄養、頭の資料】それでも女性は美しく…全部は無理だけどね…@『女性の品格』坂東 眞理子

    • 2014.03.15 Saturday
    • 21:41
    私も40代の仲間入りということで、大人の女性でも勉強をしようか、
    という訳ではないのだけど、品格シリーズを紐解く。

    官僚で昭和女子大学学長の坂東眞理子氏のヒット作。

    女性の心のあり方から、行動、日ごろどんな服装をすべきか、
    言葉の使い方にいたるまで、たおやかに解説している。

    世の男性が情けないのは女性の教育の仕方に問題があるとする意見もある。
    男がダメだってことは、連れ合いの女が総じてダメだと。

    具体的内容としては、電車の中などでお化粧しない。
    つい緩みがちになる、脚を広げて座らない。姿勢を良くする。
    見えないところをきちんとする。たまには、料理をちゃんとする。
    人間関係に対するマナー、返事の書き方など・・・etc。

    私は東京に来て三年目だけど、東京ならではの女性経営者の方に何人か出会った。
    いずれも、ビジネスの世界で成果を出している方々である。

    共通しているのは、「女だてらに」とか頑張っている風には見えないところ。
    もちろん、経営者だから、ありえないくらい頑張るくらいはあるのだろうけど、
    空気感が、穏やか。

    男言葉を使い、がさつで女を捨てたように見える方は一人もいなかった。
    みんな、それぞれにオシャレを楽しみ、女性らしい、かわいらしいところを持ち合わせていらっしゃるのだ。

    この本を読みながら、やっぱり働いてきた人の言葉だなぁ、と感じたところは

    「そうわかってはいるけども、全部は無理です」

    なんて記述があるところ、できる範囲で向上心を持ってちゃんとすること、と読みました。


    【心の栄養、頭の資料】ディズニーはいかにして物語をリメイクしたか@『ディズニーの魔法』有馬哲夫

    • 2014.03.09 Sunday
    • 20:37
    アニメ=童話というのは今では、当たり前になっているけれど、
    白雪姫を生み出したころのディズニーはそうではなかった。

    ところで、初期のディズニー長編映画の物語の大半は
    グリム童話を元にしている。
    ところがこの原作は、本当はかなりおどろおどろしい。

    ディズニー版白雪姫は、最初に王子様に会って恋に落ちてるけど、
    原作ではほぼ死体の姿で、王子に対面する。

    それに、一目惚れした王子は、そもそも変な愛情の持ち主・・・?
    白雪姫の継母には罰で死ぬのだけど、そもそもその罰を与えた人物は、白雪姫では・・・?

    シンデレラの原作では、夜中の12時にシンデレラが落としたガラスの靴を持って、
    王子がシンデレラの家にやってくる。
    王子が持ってきたガラスの靴に足を合わせるため、
    義理の姉さんたちはつま先を切ったり、かかとを削ったりして文字通り血みどろに・・・。

    ディズニーは、それをどうにかして、アメリカの現代のファンタジーに合わせる。
    主人公をアメリカンガールに性格もつくりかえ、小人を小さなおじちゃんに、
    悲恋の物語も最後は勝つように・・・
    グリム童話のおどろおどしさは皆無とも取れる。

    ディズニー流のハッピーな物語のつくりかえ方を原作と比較分析する。

    ちなみに、ディズニー映画は名曲ぞろいだけども、
    Bibbidi-Bobbidi-Booは、 シンデレラの中で
    すっかり「アメリカのおばちゃん」に作り替えられた魔法使いの
    魔法をかける唄。



    最初見たときは、え? と思ったんだけど、英語ならではの滑舌がとっても良くて好き。

    ビビデ・バビデ・ブーを唄うときには
    かぼちゃも馬車になり、
    ネズミも立派な白馬になるような勢いがあっていいところかも。

    脳みそを絞りきって物語をリメイクし
    新しいエンターテインメントの世界を切り拓いてくれた
    ディズニーに敬意を表して・・・。

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