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    【つれづれ】「当てにならない宗教より、自分の中の神様を拝んだほうが良い」…実家の宗教観。

    • 2015.01.21 Wednesday
    • 05:50
    正月の話だけど、近くの出雲大社の分社に、拝みに行く。

    2015_0103_02.jpg
    東京に来て、「あなたは、日本人じゃない」と日本人に言われるけど
    自分では、モーレツな日本人だと思っている。
    「本当の日本」と言うものを、あなたがたが、忘れているだけだ。

    うちの実家は古いうちで、神棚が三つある。
    そして、裏山には荒神様の祠がある。


    そのうちの一つが、この出雲大社のものだ。
    定期的に神主さんが拝みに来られる。

    正月で氏子が集まっていて、お祓いを受ける。

    ここの若い神主さんとは、正月初対面した。
    お父様から時々お子さんの育て方を聞いてはいたけども、
    高校時代から自立なさい、のような教育を受けていた。
    お父様の仕込みと、修業の成果で立派な方だった。

    土地柄もうちは古く、もう一つ実は地域に拝みに来られた 別の神社がある。
    これも出雲系だったらしい。

    1月の第4土曜日に「申し」という行事があって、
    小さいころうちの当番日の場合には、 集落のみんなが集まって、
    飲めや歌えの大騒ぎだった。
    幼い私は、邪魔にならないように違う部屋でテレビを見て、
    大騒ぎする大人達を不思議に思っていた。

    今や、変な建築の法律が出来、変な西洋化の波があり
    日本の方式で家を建てられなくなる住宅事情になっているので、
    いわゆる「田の字型」のような家は見なくなった。

    昔の家には、必ず六畳二間が縁側とともにあるのが当たり前で、
    昭和元年に立てられた古民家のうちも漏れず「田の字型」をしている。
    普段は襖で仕切られているけども、 こうした、
    お祭りとか冠婚葬祭には、仕切りをなくして 使うシステムになっている。

    日本古来の建築様式である。

    「申し」は、その後、各自の家で持ち回りの時に場所提供が大変になり、
    というので近所にできた集会所に移動。
    そして近頃は、女衆がお世話が大変ということで、なくなった。
    集落の氏神さまというのは別にある。

    つまり実家は二つの神社から守られていることになる。

    集落ごとにある神社は、公民館の役割を戦前まで果たしていた。
    いや、むしろ、戦後GHQは神と人を分断して精神性を低くするために
    「公民館」を普及させた。
     
    日本各地にある、集落ごとの神社は、コミュニティ施設の役割を果たしていた。
    神社には必ず相撲を取る土俵があった。子供たちがそこで相撲を取った。

    実家のある集落のある神社はそういう意味でも、
    集落を見渡せる、小高い山の上にある。

    なるほどな、と。ここで確かにご先祖様は、村について語りあえる。
    一望できるから。

    「晴子さんちは、神道ですか?」
    と、言われたけど。

    いいえ、違います(笑)


    変わった会話になるけど、私の家は仏教的に浄土真宗なんである。

    しかも、このたびの帰省で明らかになったのは、
    お寺さんについても、二つのお寺にお世話になってたようだった。
    うちの祖母が、「嫁が来たからいらない」と言って、一つ切ったらしい。

    切らんでも、良かったのでは? ばあちゃん。

    というか、バランス的には、
    もう一つのお寺さんがあったほうが良くなかったかい?
    などと、長女的には思う訳だったり…。

    「実家に帰ったら、出雲大社調べて!」
    なんて、鼻息荒く、友人に言われたりしたけど。
    それも、西洋の個人意識にとらわれている例じゃないかと最近は思う。

    古来日本国では、地域の和があって、
    繋がりがあって、なんぼだと思う。


    それは、故郷が、そういった場所にある人間にしか分からないだろう。
    我が家は「人間的な信仰」という空気が、むん、と密度が濃い。
    それを「日本人じゃない」と日本人に言われるのだから(笑)
    そういう意味で、GHQの施策は当たっていて、見事だと思う。

    また、私は、次のように思うのだけど。
    「当てにならない宗教より、自分の中の神様を拝んだほうが良い」(斎藤一人)

    でもね、仏教ではお経を、神道では祝詞を、
    ちゃんとあげられる修行をした人は
    人間性が圧倒的に違うというのを、私は知っています。

    さて、
    うちの実家の氏神様にお参りする帰りに、貰い物。

    丁度、神社のふもとにある R子ちゃんちのおかーさん。
     一年間準備しててくれたらしい。

    「 こんなの欲しいな」って何気に うちの母に言ってたら、
    伝えてくれたらしい。

    「余り糸じゃけど…」 って、うれしい( 〃▽〃)

    お礼に年賀状出しなさいって、言われて
    初めてお名前を知ったり。

    いつも、R子ちゃんちのおかーさん だもんな…。
    ぬくいです。
    2015_0105a.jpg

    本当、人ってつながって、和として、なんぼ。


    ********************
    (参考:公民館はGHQの占領政策、今も続く日本の占領状態)

    【つれづれ】ゆっくり時間をかけて帰る。

    • 2015.01.03 Saturday
    • 23:54
    夜行バスで帰省。
    大みそかの21時半、新宿発。
    正月1日、10時、広島駅着。

    さすがの新宿駅周辺も、大晦日ばかりは飲食店は20:00終わり。
    ちょっと早めに出て、時間をつぶそうと思うと。まず、お店を見つけるのが大変だった。

    迎えに来てもらう母親の勤務に合わせて、ちょっと広島滞留。
    フレンドさんに出会って、積る話を…。
    そこから、高速道路の定期バスでさらに、移動。

    今回の長距離バスは、3列シート。座席のリクライニングが割りと倒れる。
    車中の男女の区切りは、前に男性が集中、後ろに女性を集中させるとかで保たれている。
    私はあまり移動が苦にならない。
     
    むしろ、眠って起きたらついてるような、または、日本って距離あるんだよ、というのが
    実感できるのを、面白く感じている。
    (仕事なら速さが基本だけど…)
    でも、2年ぶり2回目という、高校球児見たいな回数で、申し訳なとか無駄に思う。
    数時間後とに、30分くらい、サービスエリアで停車する。
    広島付近に入るくらいから、雪道になってきた。

    福山付近で、最後のサービスエリア停車。
    「東京から帰る途中で、あまりに寒いので驚きました」
    と、コーヒー屋さんの店員さんに。
    まず、「東京から」で驚かれる。

    「は?」とか、思うものなんだ…(笑)

     20140102.jpg
    (2015年1月1日の広島駅南口珈琲館)


    山口県って雪国だったっけ・・・。
    20140103.jpg
    (2014年1月3日の実家の猫)

    そういえば、去年ぐらいから、なんかあるときには「雨女」のレベルじゃなく、
    「嵐」が来るなぁ・・・みたいな。

    気にしない、気にしない。

    【賀正】あけましておめでとうございます。

    • 2015.01.02 Friday
    • 02:38
    年賀2015?blog.jpg

    昨年はお世話になりました。
    今年もどうぞよろしくお願いします。

    さて、今年のお年賀は二種類。あと一種類は風神雷神。

    この絵の題材になっているのは日本神話。
    神社とかでも良く見かける門の守り神。
    外敵(悪神とか鬼)の侵入を防ぐ役割があります。

    櫛磐間戸神(くしいわまどのかみ)
    豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)

    諸説あるようだけど、
    天照大御神が、天の岩戸から出てきてから、住んだ宮殿の門を守る神様とか。

    弥栄。

    センターの●は日の丸。
    また、神社には鏡が御本尊が多く、お参りすると、あなたが映ります。
    つまり、あなたが座ってもいる訳です。
    「かがみ」ー「が」=「かみ」

    門番ならば、阿吽で、って
    阿吽は宇宙の最初と最後を表わす「真言」で、
    つまり、仏教用語。うーん。

    いつも、お守り申しております。
    今年も良いお年を。

    【つれづれ】あの子はどこにいったの?

    • 2014.11.20 Thursday
    • 20:35

    朝はだいたい同じ席に居座って 勉強していますが、
    お店には朝の常連さんが何人かいます。

    韓国語を勉強してる人もいるし、
    何かの資格の勉強してる人もいるし
    週に一度だけ、英字新聞の
    音読トレーニングしてる人もいるし
    始業前に、従業員と話す経営者とか、
    現場直行の営業マンが時間つぶしてるとか。

    それにしても、 いつもの女の子は、
    辞めちゃったのかしら?

    店長さんと思しきおっちゃんが朝のレジを打っている。
    朝のカウンターには女の子がいてほしいな、、、
    おっちゃんでなく…
    にこやかな彼女、なんか、良かったんだよなぁ。
    厨房も手伝ってたみたいだけど…

    いつもの女の子は 辞めちゃったんですか?

    気になって声をかける。
    すると、
    「彼女はいつもお昼の担当で10時からで…
      無理させちゃと」


    …そうですか、大変ですね。
    そっか。 今までが無理してたのね。
    なんて事が分かる、木曜の朝。
    というか、よー分からんですいません。。。。

    なんか、いろいろ苦労してるんだよね、みんな。

    【つれづれ】神宿りの木と、自分の中の神様。

    • 2014.11.12 Wednesday
    • 07:09
    「神社と言うのは、
     今のコミュニティ施設とかのシステムの一つだったんだよ」

    「そこから、引き離そうと作られたのが「公民館」だよ。
     日本人の精神性を、コミュニティを引きはがそうとしたのさ・・」




    いつだったか。そんな話を聞いた。
    神様というのは至るところにいる。
    私たちが祭る神社は実は空っぽで、 境内の木に宿るパターンというのがあるというのを知って、
    ふと思うと、 意外と身近に、そんなところがあるもので。。。

    行くと杜が不思議な感じがして「…いるなぁ」と思い、
    木を前にすると「やっと会えた」と思う。 自然と涙が出た。

    私の場合、どうもつながっているところが 人間的な文章をかえさないわ、
    名前はないわ(ついた時点で次元が落ちる)、
    3D立体的に、分かりづらいわ、意味が分からんわ、儲からんわで。
    ぶっちゃけると、生活者的に良いことがない。

    時々、専門にセラピーとかヒーラーとかいうプロの人で、
    クライアントの闇を「受けて困った」という人や、 霊体数が何十万とか何百万体クラスで困りました、
    という人のお手伝いには、ちょうどいいらしい。 (そんな世界もある)

    実際のところ、私自身に力はなく、ただのエネルギーの通り道なので
    そうした「闇」とか重たいものに対峙(と言っても、話聞いてるだけ)
    してると「ふむふむ」と、勝手にスイッチが入ってくるみたいで、
    私自身はそんなエネルギーが通るので、へたった体が元気になると(笑)

    こないだ、たまたま寄ったところが、周り一同敏感な方多くて。
    その人の「重さ」にビビっているのだけど、話の流れでその人のそばに座った。
    こういう「重さ」を持つ人の特徴は、自分が悲劇のヒーローかヒロインになってる事が多い。
    客観的な視野をもっと持つべきね、というか、現実的な勉強をして、と、私は思っている。

    話を聞いて、しばらくすると「軽くなる」。

    「晴子さんって、不思議な人ですね。
     自分も元気ないのに、やばいと思ってたんだけど、隣に行っちゃうし。
     あの人、元気にさせて、自分も元気になっちゃった」


    そうですね。 私がそれでも、思っているのは、早く全うな人間になりたいってこと。
    同じようなタイプの人はいるようだけど、どうも、面と向かっては合えないシステムらしい。

    さて、神宿りの木なんだけど、そのものに触れて目を閉じると、木のイメージがしない。
    木肌と手の平の境界線がなくなり、溶けていく感じ。
    こういう木を時々、由々しき輩が切ろうとしているんだな。それで、台風とかでピンポイントで狙われたりする。



    そうそう、良くね、西郷隆盛とか吉田松陰とか死んだ人が出てきましたとか、
    日本の神様が降りてきましたとかの類ね。 元は、キツネとか狸だったりするから注意してくださいね。
    (彼らも本当は世の中を良くしようとしてるから)
    それよりも、自分の中にいる神様に、ど正直に気が付いたほうが良いです。

    神社には鏡が祭ってあるでしょう?

    か・が・み。 「が」を抜くと、「か・み」。
    そういう事ですって。

    【つれづれ】SNSネイティブ。ただ、そこは、実体をまとわない素が出る世界。

    • 2014.10.12 Sunday
    • 19:05
    朝4時起きをスタートさせたのは、
    2010年くらいだったかな。

    誕生日は3月なんだけど、ふとその日、朝、歩きたかった。

    「わ、歩ける」と思った。
    体を作り替えて、頭を整えたあと、
    中身の積み込みのために本を読んだ。
    1年で積み上げて、自分の身長以上にはなってたと思う。
    二週間で読み上げる冊数は10冊以上、大抵はハードカバーだったから。

    当時、twitterをやり始めて、リアルではいろんな意味で、
    人生の袋小路にはまりこみ 完全な八方塞がりだった状態で、
    そこから、つぶやきがスタートした。
    もともと、クリエイト系なのに、人間的にアウトプット不足。

    つぶやくつぶやくつぶやく…(笑)
    やたら多産で多分一日30ツイートは普通。140文字はとても手軽だった。

    最初のプロフィール写真は、自分の写真でなかった。
    それでも、精神世界的なエネルギーの大きさを、
    残念ながら 持ち合わせているので、
    最初は「半分人でない」と思われてたみたい。

    どうも、体を介さないネットというものは、
    モロにそんなものが 出るみたいだ。
    最早「そうじゃないです」と言うのを、
    あきらめて、 そのものになることにした。能力者です。

    (2014年10月、最近の話し相手)

    「能力を持つ者は、その責務を全うしないといけない」

    通常、仏門とかに神の道とかに入って修行項目を修行すればよろしいのですが、
    縁無き一般社会的な能力者はまず、そこに気が付かないし、
    明らかに役割が違うので、人生が大変。

    麻酔効かない体だけど大手術とか、
    「飲みすぎ」がありえないレベルで顔が紫になりましたとか…。
    人の心は金で買える事を確信しました、とか。
    良い感じの借金抱えました、とか、
    半端なくDVにはまってますとか。

    そういう訳で、私には
    目的が達成されない場合
    「自分の人格は崩壊して良し(そういうところでは死なないから)」
    という項目があります。
    (名前を変えたのも、その名前の人格では、実体が持たなかったから)

    神様とか大いなる意志とかサムシンググレイトとか
    言われる連中は、いたずら好きで、通常のやり方では「なぜ、そうであるのか」と
    答えを見せてくれない。
    その答えが、1年先とか2年先とかで分かるのはざらで、
    その大きな人もいろいろ次元と種類があって、「なぜ、そこまで無理を・・・」と
    聞かれると 私がキレるようになるわけで。
    (間違いなく、氏の管轄に私がいないことがはっきりわかります。 
     世の中、その次元ですべてです。みたいな、ノリにまたキレ。
     が、その後、「ごめんなさい」される訳で…w)

    とはいえ、私は3D生活者で、そこを生業にしていないので、
    なんのかの言っても、まずは実体の体力づくりで。
    それで勉強時間と体力作りのために 朝の時間を有効活用しようと。

    朝4時起きと言っても、経営者タイプの人は起きてるし、
    中にいる人がいっぱいいる。
    その時間は、twitterのタイムラインもいる人が少ないので、
    なんだか一体感があって、
    がんばろっかな、と思ったものだ。

    意外と孤独でない(笑)

    その、SNS感を知らない人に分かれというのは、難しいな、と思う。
    「素人が発信して何になる」「それを読んで何になる」
    いやそうでなくて、まったく新しい概念だものね。

    それでも、ネットワークと扱うGoogle社とかのハードとかは
    やたら熱を持っているから、なんだか「熱」だけ写りこむ 写真で地上を見ると、
    そこだけ、赤くなっているとのこと。

    でも、熱は持ってていても、物ではない訳。
    まるで、精神世界的なイメージ。
    インターネットのネットワークも、 エネルギー的には、
    地球上にはそんな脳細胞みたいなものが、 網目を持って張り巡らされている訳でね・・・。

    その「何になる」で、どこの馬の骨とも分からない私に
    仕事を振ってくる人もいるのだから…(笑)

    【つれづれ】悩むのは、面倒臭い

    • 2014.10.11 Saturday
    • 16:51
    人生の持ち時間は、決まっている。

    やるか、やってきたか、で、 人生はできている。

    本当は、運の良し悪しとか、
    タイミングの良し悪しとか 調子の良し悪しは
    ある意味では、関係ない。

    「起きた」事がらの 良し悪しは
    自分の軸でしか判断してないから。

    未来には、「やること」しかない。

    悩んでいるときは、手足が止まる。
    やもすれば、後退する。

    ならば、手足を動かしていた方が
    悩みの元には、早く届くだろう。

    ガイドは学ぶ必要があるけど。
    悩むのは、面倒臭い。
    人生の持ち時間は、限られているから。

    今日は何をする?


    (2014年10月7日の朝の神谷町)

    【つれづれ】「神様、もう少しだけ…」容赦なく願え、願えば叶う。

    • 2014.09.08 Monday
    • 05:26
    「…神様、もう少しだけ…。
     もう少しだけ待ってくれないかな、
     自分の先が見たいんだ…!

    家に帰り、ひっくり返ると、体が動かせなくなる。
    6年前の私。

    怒涛のようにできる体内の出来物に、東洋の緊急医療である
    灸で対応し続けた。
    つぶしてもつぶしてもそういう体になっているので、できる間隔が
    1年に一度、半年、三か月と、言う感じで狭まっていた。

    「後、10年くらいしかこの体が持たないかも…
     それどころじゃないところもあった」


    22年か3年か、お世話になったお灸の先生が、音をあげた。初めて聞いた。
    曰く「潰れれば、即死」レベルのものも、あったようだ。
    実際にその部位だけピンポイントで冷えていた。

    体はガチゴチ。
    寝転んで、動き出すときには、右手さん左手さん、右足さん左足さんと呼びかける。
    何かの拍子で、バッキリ行くなという、自覚症状があった。

    このまま、世の中からいなくなるかな。…いや、単純に面白くない。

    現状分析する。
    「先生のやり方」では、もう限界なんだ。
    「でき続ける体になっている」なら、問題は、細胞だ。

    ならば、細胞をすべてつくりかえれば良いのでは?
    どうして作り上げるか?

    「口から入る食べ物から、人の体はできている」

    以前パニック障害がひどいとき、スーパーに行くと、何を買っていいのか、
    何を食べたらいいのか、途方に暮れたことがある。
    それでも、食べないといけない。

    幸い、作ろうと思えば作れるので、どうにか食べたいものを探すため、
    どの食べ物が食べたいか体に選ばせた。
    「何が食べたい?」
    全種類が即座に分かるのは、本屋の料理コーナー。
    当時、選んだ本はマクロビオティックの本だった。
    食事を変えようと思ったけど、肉食、牛乳卵を控えるなんて、と思っていたので、
    その時点では変えなかった。

    それから1年後くらいだったと思う。
    玄米菜食に賭ける決断をした。この度は意識が違うが、周りには専門家はいなかった。
    本を頼りに夢中で手探りの食養がスタート。

    ところが、3ヶ月すぎると玄米の罠にかかる。体調がもとに戻る。
    (脂肪がもともと多いため、肝臓に負担がかかる。
     マクロビオティックの本には1口200回以上噛むようにと指示がある。)
    どうにか見つけたのが、望診ができる精進料理の和尚さん。

    見つけたのはSNS。
    書いてあるコメントで、どれだけの知識と経験があるか
    だいたい分かるので、仕事で使うそうした判断能力を、
    全力で自分のために初めて使った。

    2014_0827a.jpg
    (2014年8月28日 阿佐ヶ谷の秋の花)

    無神論者で現実主義者だったけど、初めて神に祈った。

    「お願いだから、自分の先が見たい。
     面白そうなんだ」

    と、思いながらも、気力は低下傾向。
    自分のために死ねるエネルギーもない。
    (自殺者はエネルギーがあるんだよ、と言うのも、この時に教わった)

    ならば、このなけなしのエネルギーを
    他人のために使ったらどうなるんだろう?
    役に立たない自分なんて、削ってしまえ、と。

    性格なんて変わっていい。どうせ一人だ。
    思考が変わった。言葉が変わった。
    行動し始めると、「性質」は変わらないことが分かった。

    「物語の先がある」と感覚だけ見えてきた。

    江戸時代の運命学者「水野南北」は、自身の経験からも
    「3年食を控えると、運命は好転する」と書いた。

    食を変えて3年後、「東京なんて…」と思っていた私が、
    上京することになった。

    どんな人にも物語がある。
    私は、そんな「物語」が大好きです。
     

    【つれづれ】氏は言った。「絵描きが描く絵には意味がある」

    • 2014.09.01 Monday
    • 06:02
    ・・・絵描きが描く絵には、意味がある・・・

    2014_0822.jpg
    ブログでもぼちぼち登場する
    猫ちゃんのいる店に、私の絵がある。

    心の中のもう一人の小さな私。
    客で来ていた鍼灸師の氏がじぃっと見つめる。

    青いついたてみたいのがあるじゃない?

    それは音の形です。

    そうだろうね。
    右がはっきりしている、左がぼんやりしている。
    これでも、絵の見方を学んだんだ。

    右が現在で、左が未来なんだ。
    これを見ると、左のバックがぼんやりしている。
    つまり、未来がぼんやりしているんだね。


    ホントだ。 あたりです。
    確かに二年前、そうでした。

    足元がしっかりしてる。

    そうですね、彼女はいつも裸足。

    もう、個人的にそのころの思考パターンとか
    完全リセットされているので、
    感情のほとんどは 覚えてないのだけど、データだけ残っている。
    再び「描き始めた」頃の、私の絵を見て 隣り合わせた氏が一言。

    人に見せるために描いていないでしょ。

    …確かに。そうかも。
    (この絵は売り物だったけど、最初の形は、そうだった)
    食事を変えてから、不思議なことに
    自分の中に「誰かがいる」のに気が付いて、
    彼女との対話が始まった訳。

    しかし、この絵は楽しいね。

    そうですね。 音楽の中にいますからね。

    いろんな見方があるんだな、と おしゃべりしながらしみじみと。
    描いてきた私が思います。

    そうだなぁ、
    個展の最初は「Inside Out」で みなさんにご挨拶が良いのかも。
    それにしても人生なんてのは、生きて歩いてみて初めて、
    分かる事があるもんだなぁ・・・。

    【つれづれ】木のような人に、なりたいものだ。

    • 2014.08.06 Wednesday
    • 21:54
    ちょっとずるして、
    陶器のごはん茶碗のごはんの上に
    熱いお味噌汁を...。

    …熱っ。

    あそっか、木の汁茶碗とは熱伝導が違う訳だ。

    木の器は良い。
    熱いものを入れても、持てるし、
    冷たすぎても、熱が届かない。

    そういえば、私の部屋の床は天然木。
    なんかしらの、 クッションになっているし
    緩和剤になってるみたい。

    そうだな。
    熱くなっても、冷たくなっても。
    熱い人に会っても、冷たい人に会っても。
    ちょっとクッションして、
    いつも一緒、みたいな。
    木の器のような人に、
    なりたいものだ。

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